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期間工をはじめチャレンジや経験を記します!

第11話 地獄!年末バイト!

前回の続きから!

 

12月28日の期間工最終日を終えた私はアパートの荷物をまとめ実家に向かった。

明日12月29日~1月4日まで、実家付近で年末年始の短期アルバイトが入っている。

バイト先は魚屋さん。

デパートのスーパーの一角に売り場がある。

ここの魚屋は私が高校2年と3年の時に短期アルバイトをしていた場所だ。

12月の頭に年末年始の短期バイト探しをしていたが、あまり良い求人が無く迷っていたところ、ふと思い出しお店に電話して採用して頂いた。

 

高校時代は、12月28~31日の4日間。朝7時~夕方5時位まで働いた。

しかし今回は違う。

 

12月29日~1月4日まで、元旦を覗いて働き続ける。

当時は高校生で深夜勤務が出来なかったのだが、今はできる年齢になり出勤時間がめちゃくちゃ早い。スケジュールはこんな感じ。

 

29日  朝 5:00 

30日 深夜 3:00

31日 深夜 2:00

1日   休み

2日   深夜 3:00

3日   朝  5:30

4日   朝  6:30

終業時刻は全日16:00頃

 

 

……

 

 

 

 

 

「はやすぎちゃった……」

泣きたい気分である。

 

まさにあの花のメンマのように

成仏しそうである。

なんだこの早すぎる出勤時間は…いやいや死んでしまう。

しかも終わりは夕方って。

3時入りの16時上がり、からの2時出勤…この区間キツすぎる。

まだ「この6日間だけ」なら出来なくもないが期間工合わせれば連勤にもなるし精神的にも疲れてるから色々とハードなのだ。

 

とにかく28日は早く寝て翌朝4時に起床した。いつも以上に早く起きて職場へ向かう。

ワイシャツにネクタイをして、薄緑色の作業着を羽織り最後にエプロンをする。 

割烹料理屋が被るような帽子を被り準備完了。

勤務開始である。

職場内は何も変わっていない。記憶がしっかり残っている。

業務内容は変わらない。

 

包丁は使わず、やるのはホタテやエビなどのパック詰め。他にはいくらを詰めたり多岐に渡る。

 

こんな感じ。

これもやはり単純作業なのだが、なぜかこの職場のこの作業だけは嫌気がささない。

高校時代もそうだった。

海産物の種類も変わるし、グラムで測ったり詰め方を工夫したり、あとはどうしたらスムーズに作業できるかを考えたりするので、ゲーム感があるからかもしれない。

 

とにかく繰り返し詰め終わったら次へ次へと進む。

幸い目に入るとこに時計は無いので今が何時かも分からずひたすらに作業する。

単純作業は時計を見たら終わり

「これだけ手を動かしてたらもう30分は経っただろう」と思っても実際は10分すら経っていないということが本当にある。時間の渦に呑まれるのだ。

働いていると

手を動かした数」で「作業を沢山こなしている」と感じる。

その為

「作業数を沢山こなしている」と感じるとその分時間が経過した

と思ってしまうが、実際は1つの作業が数秒~数十秒で終わってしまう単純作業は1作業辺りの時間が短いので数をこなしても時間は進まないのだ

例えるなら、100円玉を毎日貯金していると貯金した気になるがひと月ためても¥3000。 数ヶ月経って貯金箱をみると「あれ?これだけ?」みたいな。そんな感じ。

 

ある程度作業してると…ついに来てしまった。当時から大嫌いだったある業務がまわってきた。

そう…

アルゼンチン赤エビ

これ本当に厄介なんです……ガチガチに冷凍されたエビを薄いビニール手袋をした手で剥がして袋に詰めるのだが、、

エビの頭にある角が凍って針と変わらない状態になっていて、気を抜くと手に刺さり痛い……

普通に出血します…

以前ブログにも書いたが私はこうした鋭利なものは想像ですら嫌なので触ることは本当に避けたいのだ。

軍手もないので慎重に作業するが、まぁ刺さる。

袋に20尾も入れると持ち手の部分まで角が出る。また稀に角が袋を突き破ってることもあり危ない。

「エビをこんな売り方するなよ…お客さん怪我したらどうするんだよ…」

と不満を抱きながら仕事をした。

ちなみにこれはエビワラー。

サワムラー

 

 

午後になるとタラバガニやズワイガニをパックに詰める作業をした。

この作業が案外楽しいのだ(笑)

部位ごとに分けられた大量のカニを、最後に端数が出ることなく指定されたグラムでパック詰めする。

ゲーム性があり楽しい(笑)

こんな感じ。詰め方にもこだわりがあり脚を上手く曲げたり綺麗に並ぶように下敷き代わりにカニの腹を詰めたりして美的な詰め方を追求していた

こんな感じに。長方形のパックにこれを収めるのは中々難しいのだがそれを綺麗に仕上げた時が少し気持ちが良い(笑)

 

そんなこんなで初日を終えた。

家に着いたのが16時30分。入浴や食事を済ませ19:00には布団に入る。

「こんな早く寝れるかな…もし22時とかいつもの時間まで寝れなかったら明日死んでしまう……」と不安な気持ちがあったが

人間追い込まれれば直ぐに寝れるのか、気づいたら寝ていた。

翌朝2:00にアラームが鳴る。

寝ぼけながら真っ暗な部屋の中で枕に顔を埋め、「ああ飛んじゃおうかな」と辞めたい気持ちでいっぱいだった。

しかし高校の時にもお世話になり今もこうして採用を頂いた。辞める訳にはいかない。布団から起きて着替えをし、真っ暗な街の中を自転車で進んだ。

 

その日も作業は同じ。これはこの先も変わらない。3時からひたすらに詰める。ただやはり嫌な仕事をしている気にはならない。

「案外好きなのか?この仕事」と思う。

気づいたら朝休みの時間になった。時計を見ると朝7時20分。あっという間だ。自分でもびっくりした。

休憩が終わりまた作業につくと次は12時の昼休み。

やはりあっという間だ……。

自分の中で「直ぐには帰れない長い労働だ。時間を見たらキツくなる。時間など気にせずとにかく目の前の仕事をこなそう」と腹をくくっていたのか、時間の進みが早かった。

 

その日も夕方に終わり家に帰り、18時30分には寝れた。もう逃げられないしやるしかない状況に体も追いついている。

朝1:00にアラームが鳴っても、嫌気はさしても「辞めよう」なんて思わない。

悟ったように準備をして淡々と家を出る。

真夜中に出勤し真夜中から働き始める職場の光景にも慣れて違和感もない。

気づいたら適応していた。

この日も仕事内容は変わらず夕方までやりとけだ。

元旦はゆっくり寝て過ごした。

年明けの2日は出勤時間が3時に変更した(当初2時30分の予定)。

3~4日は7時に変更(当初5時30分 6時30分予定)だいぶゆとりが出た。

 

仕事は淡々と作業したが疲れも見え始めて時折イライラしたりすることもあった。

店内に永遠と繰り返し流れる正月のあの良く聴く和風な曲が余計そのイライラを掻き立てた。

体は特に足が痛い。

長靴は足裏が痛みやすい。予防でクッション中敷を引いても、毎日10時間以上履いていたら効果が薄く、出勤して1時間足らずで足が痛くなった…。「まだ10時間以上働くのに……」と先を思いやられた。

 

 

最終日は、年末バイトのスタッフは私一人だけになっていた。私の契約が一番長かった。

 

 

実はこの魚屋さんは今年で閉店してしまう。

バイトができるラストイヤーだった。

当時高校生で生まれて初めてしたバイト。

またこうして働けたことに、しみじみした思いがあった。

高校当時「お金の有難みや稼ぐ大変さを学べたら良い」と社会経験の意味も含め挑んだバイトは、むしろ「働けばこれだけ貰えるのか!お金って簡単に稼げるんだな」と思いたくないのに思ってしまった。

想像していた社会の辛さと真逆のものを感じてしまった自分自身に「社会の大変さを知ることが出来なかった」とやや残念な気持ちと手応えのなさを感じたのを覚えている。

当時の振込み……バイトしてない高校生で4万6千円は大金ですね!嬉しかったのを覚えています。

 

今でも私はお金の大切さや稼ぐ大切さを本当の意味で分かっていない。ずさんな部分も沢山ある

だからこそ今もこうして早起きしたり、慣れない仕事したり、節約したりやりたくない事を色々経験して「お金の大切さ 稼ぐ大変さ」を知りたいと思っている。

これが知れた時、私は人として成長出来ると思っている。

 

高校時代から8年が経った今、同じ仕事を通して、学びたいと思っていたことは今も同じであった。

人間のレベルではまるで変わっていないが

それでも働きながら

「絶対将来はこんな苦しい思いはしない 成功してやる」と歯を食いしばって働けたこと、色々な辛い経験をこの8年したからこそ反骨精神を持つ事が出来た部分は、変化出来たのだと思った。

 

16時30分仕事は終わった。

挨拶を済ませ搬入口から外に出ると1月の夕方はもううっすら暗かった。

お正月の雰囲気が少しずつ無くなってきた道を駐輪場へと歩いた。

社会経験の1歩目を踏み出させてくれたこの職場が無くなってしまうことに寂しさを感じながら、もう二度と働くことのないこの思い出の地を

後にしたのだった。

 

 

 

 

次回!

ついに年明け8日から工場が稼働します!

この先は5連勤土日休みの生活が続きます!

果たしてどんな生活が待っているのか。

お楽しみにに!